トランスナショナル象の道草記

海外駐在経験者による気ままなブログ

権威と権力の分離の得失

天皇家がなぜ続いたのかは日本史の最大の論点の一つかと思うんですが、そのカギとして、権威に徹したという部分があるかと感じています。

権力は必ず腐敗すると言われていて事実もそれを裏打ちしています。中国での王朝交代も易姓革命などと一応理論化されていますが、実際は制度疲労による崩壊以外の何物でもありません。どこの王朝でも、あるいは企業においても絶対権力というのは長続きしないですな。

天皇家において、絶対権力を握っていた時期というと天智・天武・持統朝から平安初期、院政期、それに建武の新政の一時期くらいしか思い浮かべられません。また、天智朝は後継者が打倒され、天武・持統朝の後は徐々に藤原氏の伸長が見られるのと仏教の尊重による権威づけを進めます。院政期の白河法皇なんか日本史では珍しいほどの専制君主ですが、これとて形式的な権威は天皇位にあり、自分は実権力の掌握に集中しています。

その意味から、後醍醐天皇ってやはり異端です。まさに、網野善彦の「異形の王権」そのもので、その仕組みの無理もたたってあんな短期政権になってしまったわけですが、もたなかった理由の一つが天皇親政派に対する対抗勢力としての院政派というか権威・権力分離派の存在です。というか、それがいわば当時の常識で、後醍醐天皇の方が「跳ね返り」なんですね。ですから、北朝って幕府の傀儡というイメージがありますが、どうして結構な実力があったようです。面白いことに、南北朝動乱の最中に一時北朝方の天皇・上皇がすべて南朝に拉致されるという事態が起こった時に天皇を立てたんですが、院政を行うべき皇族がいなかったため、皇族でない天皇の祖母を治天の君とするんですね。

この院政、室町中期には実質上消滅したようですが、形式上は断続的に存続し、最後の例は幕末近くになってからとか。

 

この、権威と権力の分離、日本には結構見られるように感じられます。特に、長続きしている会社は大抵オーナーシップと経営が分離しています。昔の大商家なんか、主家は泰然としていて番頭が切り盛りし、重大事と人事のみ関与していました。あるいは、有能な番頭と娘を結婚させて当事者能力を維持するという方向もありました。どうも江戸期ぐらいになると社会の安定度が増し、一種の法人資本主義化が進んで、オーナーも自己防衛のためにこのような方向に進んだんでしょう(大名からして初期の「〇〇家」が最後には「〇〇藩」になっていきますし、集団を守るための「主君押し込め」なんかも起こってくるわけですね)。

 

このような権威と権力の分離は、ある意味普遍的な部分がありますが、ヨーロッパなんかは権威の源を宗教という天上に求めたわけで、現世ではやはり絶対性を追求しています。確かに現代ではバーリ&ミーンズのいう資本と経営の分離という現象はあるものの、経営のプロ化という面が強く、権威と権力の分離による統治には当たりにくいのではと思います。

 

問題は、権威と権力の分離というのは統治というか組織維持には寄与するものの、オーナーシップの欠如が発生する可能性があります。特に、長期的な視点での施策の実施という面では弱いのではと危惧します。日本の意思決定と変化への対応の遅さはつとに有名ですが、その原因がこんなところにも表れているのかも知れません。