トランスナショナル象の道草記

海外駐在経験者による気ままなブログ

私家版日本史(1)日本人はなぜ税金を払うのか

のっけから変なタイトルですね。

税は当然その使い道があり、さまざまな行政サービスになっているというのは頭では分かっているんですが、どうも潜在意識というか実感としてはどうなんだろうかと思います。

これは国というものの成り立ちにもかかわると思うんです。

例えばヨーロッパなんかは命を守るというのが根本にあるのではと感じています。今のヨーロッパの原風景は中世社会の成立にあると思うんですが、この場合、出発点はいわゆるバイキングの侵略あたりにあるらしく、ここでそれまでとは大きな断絶があるんですね。どういうことかというと、それまでの支配層のうち、民衆を守れたもののみ生き残り、守れなかったものは守れるものに取って代わられたということです。だいたいは地域の小領主であり、そのネットワークが封建社会ということと理解しています。

これが尾を引いているのではと思うのは、ヨーロッパの君主って正式な写真では今でも揃って軍服で写っているんですね。かつ、王族のかなりの部分は軍人になる。つまり、国民を守るぞ、というメッセージであり、これが国家の存在意義ひいては徴税の根本思想かなと感じるわけです。

中国は王朝の存在が前提とされていたため、徴税はかなりの部分、その荘厳に費やされてきたように思えますが、一方遊牧民族への防衛という部分は見逃せない要因です。例の万里の長城なんかその維持管理コストだけでも馬鹿にならないものですし、大運河なんかも実際に目の当たりのすると(開鑿は隋代ですが、今の形になったのは元の時代とか)、国家という機構の凄さを感じざるを得ません。

これがアメリカですと、さすがに近代に成立しただけあって、行政サービスとか富の再配分などの実利が前に出てきますね。でも、住んでみて思ったのは、政府・自治体の限界を見切っていて、ボランティアとか寄付行為が結構な補完機能を果たしているようです。ですから、小さい政府論がしょっちゅう出てくることになります。

で、日本ですが。

筆者の勝手な思い込みかも知れませんが、少なくとも最近まで税金の使い道という面ではかなり無関心だったような感じがしています。特に、サラリーマン層は源泉徴収ですから徴税されている実感が薄かったですね。

単なる仮説ですが、日本人にとっての税金って、新嘗祭のお供えのようなものじゃないかと。筆者、今の日本人のメンタリティーは江戸期に形成されたと思っていますが、当時の社会はかなりの部分農業社会で、確かに年貢は徴収されたものの、吸い上げる側の武士が案外貧乏でしたよね(この辺最近の磯田先生の分析による)。ですから、搾取の実感があまりなく、だからあんなに長く江戸時代が続いたわけですが、同時に税がどこに行ったか分からない。そもそも、江戸期は非常に治安が良く、外敵の心配もないわけで国防が徴税の心理的根拠にもなりえない。

で、考えられるのが、神というか自然への捧げものとのアナロジーなんです。室町時代の荘園への臨時課税なんかも神事・仏事への奉加という形をとったりしているんで、ありうる事ではと考えています。逆に、払わないと天地がひっくり返ってしまうかも。

そう考えると、日本人ってやはりのんびりしているというか、恵まれた歴史を持っているんだなと実感します。同時に、ゆでガエルの危険もはらんでいるのではと心配ではありますが。